読書メモ:生き甲斐なんて必要ない

図書館で借りてきた本を読んだ。
「生き甲斐なんて必要ない」という本。仏教的な考えが書いてある本です。

日本は多民族国家ではありません。アイヌの人々を除けば、日本は一民族で一文化の国です。そうすると日本人は、みんな同じであると思ってしまいます。つまり、

− 物差しが一つ ー

なんです。みんなが同じ物差しで生きています。

これがインドのような多民族国家であれば、みんなが違っているというのが常識になります。向こう三軒両隣の六軒の家の人間が、六つの言語を話しているというこだって、そんなに珍しくありません。

そうであれば、物差しは多様です。ある人は金持ちになったことを喜び、別の人の物差しでは暇があるほうがいいとなります。そうして、お互いが自分の好きなように生きればいい、あなたはあなたの価値観で生きればいいし、わたしはわたしの価値観でいいのです。無理に同じにする必要はありません。

(中略)

でも、日本人はそうは考えません。そういう考え方ができないのです。お互いの物差しを統一する必要があると思っています。

これは窮屈ですね。

これ、本当にそう思う。

日本には、これが当たり前だろ、とういうような風潮が強いんですよね。

身体はボロボロなのに、「みんな頑張っているんだぞ!」とか言われて、有給休暇もろくに取れないし。

もちろん、自分自身が望むなら、身を粉にして会社のために頑張るのもいいでしょう。でも、そこまでしたくないという人もいるのに、全員が同じようにやれというのはおかしいと思うんですよね。

自分の権利さえも主張できないのって一体なんなんだろうか。自分自身が幸せだと思える生き方をしていきたいなと思いました。

メキシコの漁師の小話

あと、ネットで有名なメキシコの漁師の小話にそっくりな江戸の小咄が載っていました。
メキシコの漁師の小話は、有名なのでご存知の方も多いと思います。
のんびりと日々の食べる分だけ漁をしている漁師に、アメリカ人の旅行者がもっと漁をして億万長女になる方法を教える。
それで、メキシコの漁師が、アメリカ人の旅行者に「それで金持ちになったらどうなるんだい?」と聞くと、「田舎で日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、
歌をうたって過ごすんだ。」と今と変わらない生活ができるようになるという小話。
日本にも似たような江戸小咄があったんですね。知らなかった。
若者が昼寝をしています。
そこに大家さんがやって来て、若者を叱ります。
「若いうちはせっせと働くべきだ。なのに、お前は昼寝なんかしている。けしからん!」
で、叱られた若者が大家さんに質問します。
「ですが、大家さん、働けばどうなるんですか?」
「そりゃあ、おまえさん、お金が儲かる・・・」
「それじゃあ、お金が儲かれば、どうなるんです・・・?」
「自分のお店(たな)が持てるようになる」
「お店が持てると、そのあとどうなりますか?」
「やがて番頭さんに商売をまかせて、おまえさんは楽隠居で、昼寝のできる身分になれる」すると、若者が言いました。
「ですが、大家さん、わたしはその昼寝をいまやっているんですよ・・・」

自分が納得できるように生きていきたい

最近、このまま仕事を続けるだけの人生って一体なんだろうってことを良く思います。こんなことばかり考えるのは、たぶん、今、僕は自分自身がやりたいことをしていないんでしょう。
自分が納得できないことを、無理やり「家族がいるんだから」とか「働かざる者食うべからずだから」とか、自分自身が本当に心の底から思っていないことを考えて、それを納得させようとしているから、こんな気持ちになっているのではないかと思います。

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