日本は多民族国家ではありません。アイヌの人々を除けば、日本は一民族で一文化の国です。そうすると日本人は、みんな同じであると思ってしまいます。つまり、
− 物差しが一つ ー
なんです。みんなが同じ物差しで生きています。
これがインドのような多民族国家であれば、みんなが違っているというのが常識になります。向こう三軒両隣の六軒の家の人間が、六つの言語を話しているというこだって、そんなに珍しくありません。
そうであれば、物差しは多様です。ある人は金持ちになったことを喜び、別の人の物差しでは暇があるほうがいいとなります。そうして、お互いが自分の好きなように生きればいい、あなたはあなたの価値観で生きればいいし、わたしはわたしの価値観でいいのです。無理に同じにする必要はありません。
(中略)
でも、日本人はそうは考えません。そういう考え方ができないのです。お互いの物差しを統一する必要があると思っています。
これは窮屈ですね。
これ、本当にそう思う。
日本には、これが当たり前だろ、とういうような風潮が強いんですよね。
身体はボロボロなのに、「みんな頑張っているんだぞ!」とか言われて、有給休暇もろくに取れないし。
もちろん、自分自身が望むなら、身を粉にして会社のために頑張るのもいいでしょう。でも、そこまでしたくないという人もいるのに、全員が同じようにやれというのはおかしいと思うんですよね。
自分の権利さえも主張できないのって一体なんなんだろうか。自分自身が幸せだと思える生き方をしていきたいなと思いました。
メキシコの漁師の小話
歌をうたって過ごすんだ。」と今と変わらない生活ができるようになるという小話。
若者が昼寝をしています。
そこに大家さんがやって来て、若者を叱ります。「若いうちはせっせと働くべきだ。なのに、お前は昼寝なんかしている。けしからん!」
で、叱られた若者が大家さんに質問します。
「ですが、大家さん、働けばどうなるんですか?」
「そりゃあ、おまえさん、お金が儲かる・・・」
「それじゃあ、お金が儲かれば、どうなるんです・・・?」
「自分のお店(たな)が持てるようになる」
「お店が持てると、そのあとどうなりますか?」
「やがて番頭さんに商売をまかせて、おまえさんは楽隠居で、昼寝のできる身分になれる」すると、若者が言いました。
「ですが、大家さん、わたしはその昼寝をいまやっているんですよ・・・」